会社情報

啓芳堂は昭和10年(1935年)に創業者中島啓勝(三郎)が33歳時に講談社を独立し千駄木にて開業いたしました。

創業時まつげカール器「ビウラ」(昭和5年に実用新案・登録商標を取得)・頭髪用養毛剤「ミクロゲン」・脱毛剤「デラトン」を販売しておりました。 講談社では18歳で代理部の責任者に抜擢され現在の通信販売のハシリのような仕事を行っていたようですが、 25歳のとき広告部に左遷?(本人の手帳に記述あり)され、その時に将来の独立を決意したようです。 但しその後の事業において、この時の広告宣伝の実務経験が大いに役立ったと後に書いております。

おかげさまで戦前ビウラは好調に販売できたようですが、戦争で一変し昭和20年の東京空襲により土蔵を残しすべて失いました。 焼け残ったビウラをリュックに積めて商権とともに化粧品会社に売却し出身地である高崎にて再起を図りました。

昭和28年(1953年)啓芳堂製薬株式会社として再出発し、まゆ毛・体毛用育毛剤「ミクロゲン・パスタ」・頭髪用育毛剤「ミクロゲン」を発売いたしました。 講談社時代に培った経験を生かし、まゆ毛に着目した生コマーシャルを創成期のTVで行う等ラジオ・雑誌等の広告宣伝により世に知れ渡ることなり今日に至りました。

啓芳堂製薬株式会社は頭髪以外の体毛の生育促進に携わり、60年。これからも、まゆ毛・ヒゲ・体毛など顔と体の毛に塗って効く育毛剤メーカーとして、皆様のお役にたつために今後も邁進してまいります。



会社概要

会社名 啓芳堂製薬株式会社
THE KEIHODO PHARMACEUTICAL CO., LTD.
設 立 1935年(昭和10年)3月3日
所在地 〒113-0022 東京都文京区千駄木1丁目22番3号
TEL 03-3821-0085(代)
FAX 03-3828-5682
代表者 代表取締役 中島 研一朗
資本金 10百万円
事業内容 一般用医薬品、医薬部外品の製造
取引銀行 みずほ銀行・三菱東京UFJ銀行・朝日信用金庫・群馬銀行


啓芳堂製薬の生い立ち

1917年(大正6年) 中島三郎 大日本雄弁会講談社 野間社長に見込まれ少年社員として入社/15才
書生として住み込み 袴のたたみ方から仕込まれる
1920年(大正9年)10月 大日本雄弁会講談社 代理部主任就任/18歳
遠隔地雑誌読者に頼まれた品物を新橋・神田等で輸入商などから調達して送る代行業務を開始
異例の抜擢で現在の通信販売の先駆けの責任者となる(後に代理部部長となる)
1927年(昭和2年)8月 同社宣伝部に転属
本人の手帳によれば当時は左遷と感じたようで、この時独立を決意
ただし レタリング等広告の基礎知識を習得し独立後 非常に役立ったとの記述あり 
1930年(昭和5年) 睫毛カール器のビウラの実用新案と商標登録をとり 発売
在職中にも関らず表には出ないでアヒルの水掻き?
主婦の友・小間物時報等に広告を掲載し通信販売を開始
妻ひろが子育ての傍ら 梱包・発送など仕事を手伝う

当時のビウラ商品と広告
当時のビウラ商品と広告

ビウラの実用新案出願公告第7054号と商標登録通知
ビウラの実用新案出願公告第7054号と商標登録通知

当時のパッケージに同封したビウラの説明書
当時のパッケージに同封したビウラの説明書
1931年(昭和6年) 養毛剤ミクロゲン、脱毛剤デラトンを発売
(あくまでも裏方として)
1933年(昭和8年) 副業は順調に軌道に乗る
宣伝部の同僚であった(後にキングレコードより作詞家としてデビューした高名な)矢野亮(本名 三上芳生)さんに誘われて 赤坂フロリダへダンスを習いに通う(注 矢野亮さんの作詞  「唐獅子牡丹」:高倉健  「リンゴ村から」:三橋美智也  「おーい中村君」:若山一郎 など多数)
講談社は夜10時頃まで残業する悪習があったため 入社以来帰宅は早くて9時 多くは11時過ぎであった
従ってこれを逆手に家には残業と言っていた 
1935年(昭和10年)3月 中島三郎33歳講談社を正式に退社 商事部部長
千駄木町に啓芳堂の表札を掲げる/33歳
1945年(昭和20年)1月 B29の空襲により千駄木自宅を消失
警防団団長にて自宅消火適わず土蔵のみ残る/43歳
1945年(昭和20年)2月 着の身着のまま同級生の本島明正を頼り、出身地である高崎へ疎開
リュックに焼け残ったビウラを積めて、化粧品会社に商権とともに売却
高崎青果物統制組合書記として戦後再起まで勤務
※ビウラの販売及び商標はビューラー社の岡本求馬氏が引き継いだ
(現在"ビューラー"の登録商標は御子息の岡本和久氏が保有)
1953年(昭和28年)3月 啓芳堂製薬株式会社に組織変更、取締役社長に就任/51歳
育毛剤ミクロゲン・パスタ発売
雑誌広告・ラジオCM・テレビCM開始
  当時の「ミクロゲン・パスタ」広告
当時の「ミクロゲン・パスタ」広告
  CM撮影に立ち会う中島三郎
写真左:CM撮影に立ち会う中島三郎 写真右:当時のCM進行表
  日録20世紀(講談社 平成9年発刊) 昭和31年ヒット商品に「ミクロゲン・パスタ」が紹介されました。週刊誌などにミクロゲン・パスタの広告を掲載
写真左:日録20世紀(講談社平成9年発刊) 昭和31年ヒット商品に「ミクロゲン・パスタ」が紹介されました
写真右:週刊誌などにミクロゲン・パスタの広告を掲載

矢野亮さんに創ってもらったミクロゲン・パスタの当時の広告のコピー
         スティックで 画いた眉
         人工の限りを つくしても
         あなたのお顔には ふさわしくない
         うつくしい 自然の眉
         それが あなたの瞳を 生々と輝かす
1960年(昭和35年)1月 娘婿 中島貞夫(旧姓本島:本島明正の弟) 高崎商業高校 物理・数学教師を退職し、取締役専務として入社/39歳 理論物理学を勉強したかったのだが、なぜか数学を教えている中島貞夫
理論物理学を勉強したかったのだが、なぜか数学を教えている中島貞夫
1985年(昭和60年)6月 中島三郎 取締役会長に就任/81歳
中島貞夫 二代目社長就任/64歳
1994年(平成6年)8月 中島三郎 89歳で死亡/在職56年

2011年(平成23年)3月 中島貞夫 90歳で現職社長として死亡/在職51年
三代目 中島研一朗 代表取締役就任/60歳

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